〒070-0832 北海道旭川市旭町2条15丁目 TEL:0166-51-8101 FAX:0166-51-8102 Mail:kyokumo-z0@hokkaido-c.ed.jp
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みなさん、北海道にも「広島・長崎原爆資料館」があることをご存じでしょうか。
恥ずかしながら私はそのことを知らなかったのですが、昨日行われました全道校長会の講演の中で講師の方が話され、その存在を知ることができました。講師の方は、「その資料館は「JR平和駅」前にあるのです」とも話されていたのですが、北海道の地に原爆の歴史を知る資料館があり、それが平和(駅)の前にあり、その事実を8月5日に知ったことに、不思議な感覚をおぼえました。
今から80年前の今日、1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆が落とされました。
ニュースでは広島で行われている平和記念式典の様子が流れ、恒久の平和を祈る人々が映し出されていました。同じニュースに、今、戦火の渦中にある国の様子が流れ、攻撃で崩壊した廃墟の前で、埃にまみれ泣き叫ぶ人々、呆然と座り込む人々の様子が映し出され、一方では、国のリーダーがスーツ姿で『攻撃を拡大することを指示した』との映像が流れ・・・そのどれもが現実なのですが、あまりにもかけ離れた状況に、正直、受け止めきることができずにおりました。いったい私たち人間は何をしたいのでしょう・・・
1945年当時の旭川盲学校の記録はわずかで、太平洋戦争のさ中、国中が混乱していたことが伺えます。
少ない記録の中に、当時の卒業生8名の名前と卒業写真を見つけることができました。
歴史は変わることはありませんが、戦争は国と国が行うもので、もしかしたら旭川にも原子爆弾が落とされていたかもしれない可能性は、全くなかったとも言い切れないのではないかと考えます。
もし、そうであったなら、この卒業生たちは、当時の子どもたちは、教職員はどうであったか・・
もし、私があの戦火の国にいて、いのちの危機におびえ、絶望の淵にいたら・・
もし、私が攻撃する側の国にいたら、戦争をどのように考え、どのように行動していたか・・
今はただ、自分事として考えることのみ、この現実を受け止める方法のように感じています。
ただ、確固として言えることは、このような戦争を二度と繰り返してはならないということ。
これからを生きる子どもたちが戦火におびえたり、生きることに絶望したりすることがない世であり続けること。
今日のこの「原爆の日」に、改めて恒久の平和を強く、強く思い、願います。
JR平和駅前にある「広島・長崎原爆資料館」にも、行ってみたいと思います。
※昭和20年度(1945年度)の卒業写真より
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